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たった1人のために動ける仕事

2008年2月の頭。大都市広州から250キロほど内陸に入った紫金というまちにいる。バイクが行き交うたびに土埃が舞う中国の田舎まちだ。旧正月の最中で、赤い爆竹の残骸が至るところに散らばっている。夜、薄暗いホテルの一室から広州にいるタイランに電話をかけていた。「拓馬、村はどうだった?」落ち着いた声。タイランは日本から広州に移住してNGO「JIA」を立ち上げた原田僚太郎のニックネーム。日中の大学生とともにハンセン病問題に取り組むNGOだ。大学1年生の私は、タイランの紹介で先輩と2人この近くの山奥にあるハンセン病回復村に下見に来ていた。その日は一通り村を見て回って、この宿に辿り着いた。

ハンセン病の元患者が隔離されている村は当時中国に600ヶ所以上あった。この村で、今年の夏から大学生を集めてワークキャンプ(泊まり込みのボランティア)を開きたいと企てていた私。が、しかし。「ワークニーズはたくさんありそう。でも、村人が2人しかいなかったです」村には老夫婦が1組だけ。今も周囲から差別を受けて、ぼろぼろの土壁の長屋にひっそりと住んでいた。彼らのために大学生を連れて来たいが、間もなく消滅する村だ。「他のNGOならやらないだろうけど」タイランは言う。「たとえ村人が1人でもやろう。JIAならできる」ぐっと込み上げるものがあった。18歳の私は無知だったが、いくらNPOやNGOでも受益者がたった1人では事業が成立しないことくらいは分かった。ビジネスならなおさらだ。しかし貧乏NGOを経営する彼は優しく強くそう言った。これを機に、私は卒業するまでこの村に通うことになる。そして彼のその言葉は私の哲学になっていく。

2023年1月の末。東京にいる。楽天グループのイベントに気仙沼の高校生が招待され、私とスタッフはその高校生と二子玉川の本社を訪れた。彼女は普段気仙沼で防災のプロジェクトを企画して探究に励んでおり、今回の機会を掴み取った。コロナ禍のため中学校の修学旅行での東京行きが叶わず、人生初の上京となった。都心のビル群に圧倒されながらも物怖じする様子はない。そのイベントに来ていた高校生は彼女だけで、楽天グループの社員やゲストの女性経営者たちが彼女を囲む。「こんなキラキラした世界があるんですね」彼女は眼を輝かせていた。

翌日は朝から東京を歩き回った。観光地を巡ったり、OGの大学生にキャンパスを案内してもらったり。とにかく世の中にはいろんな人がいて、いろんな場所があって、貴方もこれからいろんなことができるんだよ、とストレートに伝えた。午後にはスタッフと帰路につき、それを私は東京駅で見送った。夜、その高校生から連絡が届いてることに気づく。世界ってもっともっと広いんだと痛感したと丁寧に感想が書いてあり、最後はこう括られていた。「高校生1人に対してこんなにも丁寧に手厚くしてくださったこと絶対に忘れません。」

ふと紫金の宿を思い出す。事業が大きくなれば、どうしても見えにくくなる「1人」。まだ私はたった1人のために動けていることに安堵した。

(文・加藤拓馬)

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