ちょこっと記事

それいけ!ワークキャンプ

「日経新聞のコラム『春秋』のような文章が書けるようになりたいなぁと思う」9月26日朝、とある機会で面会した市長がそう言うもんだから、その日のそれをたまたま読んで、そしたらいたく感動してしまった。
今や世界中で人気のアンパンマンもハローキティも、作者の戦災体験から生まれている。「争うより仲良く」という願い。強さが売りのアメコミと異なり、日本発のキャラクターの出発点は実は敗戦国だからこそのサブカルだった、という内容のコラムだった。傷ついたことがあるからこそ人に優しくなれるという矜持があるんだ。ちょうどガザへの地上侵攻が始まり、もう憎しみの連鎖は止められないだろうと心を痛めていただけに、余計じんと来てしまった。

ワークキャンプの話

夏の奥能登ワークキャンプが終わり、能登での活動はひと段落。25名の大学生・高校生が一週間、輪島と珠洲に分かれて滞在してきた。またしても豪雨が直撃して思うように活動できなかったところもあるが、流出した泥をかき出したり、仮設住宅の方とピザパーティーを開いたりと、学生たちは現場で臨機応変に奔走した。被災地への貢献を掲げつつも、今回も多くの地元の方にお世話になってしまった。でも、そのおかげで学生たちは一皮剥けて、これからも能登地域の「関係人口」になる。ワークキャンプを企画してよかった、そう思う。
改めて「ワークキャンプ」とは。直訳すれば「労働合宿」ボランティアという一見イカつい言葉になるのだが、実は反戦や復興とはそもそも切っても切り離せない活動だ。世界初の国際ワークキャンプは、第一次世界大戦後の1920年フランスのヴェルダン地方で行われたという。独仏の戦場となったこの地域で、スイス人のピエール・セレゾールという方が敵どうしだった国の若者たちを集めて、これを始めた。「以前の敵との和解は見返りを求めない一般的な労働によってのみ成る」と言ったそうだ。議論するよりもとりあえず一緒に汗をかいた方が仲良くなるよね、という呼びかけは本当に奥が深い。
その後、その活動が日本にやってきたきっかけは、関東大震災、そして太平洋戦争からの復興活動だった。やがて日本の団体も誕生し、国内外のさまざまな社会問題の現場や、阪神・淡路などの被災地でワークキャンプを展開してきた。その流れの中で、私は学生時代に中国での国際ワークキャンプに出会い、夢中になり、卒業後は気仙沼での復興ワークキャンプに従事した。なので、そんな私が次に気仙沼の学生と一緒に能登半島で復興ワークキャンプを実施したのは、今思えばなんら違和感のないことだ。

高校生に届ける「ちょい」体験

さて、そんな物語の延長線上にあるまるオフィスのワークキャンプ事業だが、次の挑戦が始まっている。その名も「ちょいワークキャンプ」。能登キャンプに参加してくれた通信制高校に通う高校生の存在をきっかけに、通信制の高校生向け2泊3日ショート版ワークキャンプを始める。フィールドは被災地に限らず、ここ気仙沼も含む過疎地を舞台に行う。時期も夏休み、春休みに限らない。「やりたいことが見つからない」「自信がない」そんな高校生と「やればできる」感覚を掴みたい。そのための、文字どおり「ちょい」体験だ。今年、通信制高校の生徒は30万人を突破し、なんと高校生のおよそ10人に1人が通信制に通う時代に入った。
新しくWebページもつくったのでご覧いただきたい。活動報告はブログ(note)で発信していく。そのタイトルは「それいけ!ワークキャンプ」。いつか日本の高校生にとってワークキャンプに参加することが当たり前になることを目指す。それが世界から戦争をなくすことにつながるという願いを、タイトルに込めることにした。

(文・加藤拓馬)

まるチューブ

ピン留めニュース

タグ一覧