ちょこっと記事
チャレンジは「しなきゃいけない」もの?

新年、みなさんは何か新しい抱負を掲げましたか?今回のテーマは、ずばり「チャレンジ」。みなさんは、チャレンジはした方がいいと思いますか? それとも、しなくてもいいと思いますか?
「チャレンジしない幸せ」という問い
先日、起業家の後輩と気仙沼で新年会をしました。「まちにチャレンジを増やして、気仙沼をおもしろく豊かにしよう」という時流に対して、彼は意地悪な問いを投げかけます。「チャレンジしなくても幸せなら、それが一番豊かな地域なんじゃないですか?」と。スタートアップ界隈を見渡せば、リスクを取って挑戦した結果、潰れてしまう人もたくさんいます。平穏に、リスクを取らずに生きていける。それもまた、一つの社会の豊かさの形かもしれません。
実は似たような話が、まるオフィスでもありました。スタッフの一人が「周りの移住者や地元の若者が挑戦している姿を見ると、自分もチャレンジしなきゃと思った」と話してくれたことがあるのですが、私はどこか引っかかりを感じました。彼はそれを前向きな文脈で語っていましたが、「しなくちゃいけない」というバイアス(思い込み)がかかるのは長い目で見たら「しんどい」ことです。そこから冗談半分に「チャレンジ・ハラスメント」という言葉まで誕生。まるオフィスには、プライベートでも新しいことに取り組む人が多く、活き活きしていてとても素敵なことですが、その引っかかりは大事にしたいと思ったのです。
「背のびゾーン」への越境
ただ、それでも私は「チャレンジ」という言葉が大好きです。尊敬する北見靖直さんが、青少年交流の家でワーク作業に臨む学生たちと「ちゃれぇぇんじ!」と大声を出し合う恒例のシーンがあるのですが、不思議と腹の底から力が湧いてきます。そんなポジティブな力がこの言葉には宿っています。
また、私がよく高校生に話すのは「越境」という概念です。 心理的な安心安全の領域である「コンフォートゾーン」を一歩踏み出し、その外側にある「背のびゾーン(ラーニングゾーン)」へ行けるかどうか。普段しないことをしてみる、出会わない人と会ってみる。それは「小さなリスク」を伴いますが、この二つのゾーンを行ったり来たりすることが、健全な学びには不可欠だと言われています。「やりたいことが見つからない」という高校生には、私はいつもこう言います。 「ファミレスでいつもと違うメニューを頼むとか、普段聴かない音楽を聴くとか、そんな小さな越境から始めてみて」と。
持続可能なチャレンジの正体
改めて考えてみると、チャレンジには種類があるのだと思います。一つは、周囲に影響された「外発的」なもの。もう一つは、内なる好奇心に基づいた「内発的」なもの。学びの入り口として「周りがやっているから」という外発的なきっかけも否定はしません。でも、最終的にその挑戦を持続可能なものにし、人生を豊かにしてくれるのは、やはり後者の「内発的な好奇心」です。許容できるリスクの範囲で、自分の好奇心に従って「ラーニングゾーン」を往復する。みなさんがもしチャレンジをしようとしているなら、それはどんなチャレンジですか?
(独り言の音声メモをもとに、AIアシスタントと共同で執筆しました)
(文・加藤拓馬)











