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地域づくりと教育のジレンマ 〜それって大人のエゴ?〜

大きな転換点にある日本社会

AI曰く、2020年代に日本社会は都市集中型か地域分散型かの選択を迫られるそうです。

一度どちらかを選んだらもう戻れない分岐点だそうです。前者を選んだなら、気仙沼はじめ日本のローカルはことごとく消滅するでしょう。私たちは後者の社会の方がわくわくします。多様性のある社会だからです。いずれにせよ、地方は「正念場の10年」に突入しました。

ここで必ず登場するのが「地域づくりと教育のジレンマ」です。

ジレンマ?

「その子を教育するとムラから出て行ってしまう」という根深いジレンマです。

 

 

地域を残す!に固執しないことで 人も地域も育つ

「集落コミュニティは夢を諦めさせる装置だ」という言葉を知っていますか?

米屋の息子は米屋を、豆腐屋の息子は豆腐屋を継いでもらわないと困る、

「私は東京に出て医者になりたい」
「ニューヨークでアーティストになりたい」

なんて言われてもその集落が困る、というのです。

確かに一理あるかもしれない。

なるほど、“いなか”は長男の夢を諦めさせることで持続性を保ってきたのかもしれない。

だとすると、これだけ情報が氾濫し、個人の自由が認められた現代社会に“いなか”は合わないワケです。

限界集落化するのも仕方ないワケです。

 

 
一方で、まるオフィスは“いなか”の潜在価値に注目してきました。

Society5.0以降の社会における「豊かさのヒント」が隠されているところが“いなか”で、今消滅されると未来社会にとって大きな損失になると考えています。

とすると、集落コミュニティは再定義を求められます。

そうだ、そこで育つ子どもたちの「夢を広げる装置」にしよう。

できるはずです。

ローカルには学びのタネがたくさん眠っています。ごろごろ転がる地域課題でさえ、学びのタネに変えることができるのです。

逆説的ですが、子どもや若者の将来の選択肢を広げることこそが、地元にポジティブに関わり続けたいと思う人を育て、結果的に地域社会の持続可能性にもつながるはずです。

 

 
くどいようですが再度言います。

人も地域も育つためには「地域の持続可能性」を第一の目的にしてはいけません。

 

 
地域の教育を魅力的にしよう!と意気込むまちはたくさんありますが、

その目的が地域の持続可能性であるなら、それもまた大人のエゴでしかありません。国ですら然りです。

まちぐるみで、子どもたちの背中を押してあげるのです。

「あなたは今から何者にでもなれる存在なんだ。自分を信じて出航したらいい」と。

そうすることで、その子はきっとこの先どこに居ても地元といい関係を築き続けるでしょう。まわりまわってそれが集落の生き残る道になるはずです。

 

教育の目的は自由になるため。その子の人生の選択肢が広がっていくことに価値がある。

 

不確実な未来がやって来ようと、それは今もこれからも変わりません。

(文・たくま)

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