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2011年→2023年、12年でひと回り

2011年、私がFIWCというチームの一員として気仙沼の唐桑半島で復興支援ボランティア活動を始めたとき、とある民家のお宅のはなれを借りて活動拠点としていた。その家族は「唐桑半島のために活動してくれるなら」と自分たちも被災しているのにも関わらず、私たちボランティアを受け入れてくれた。そのお家には三人の小学生がいて。被災した直後から数ヶ月に渡り、入れ替わり立ち替わりボランティアが自宅にやってくるもんだから、相当なストレスをかけたに違いない。実際、特に4年生になる二番目の子には負担になっていた。そのときの申し訳ない気持ちははっきり覚えている。

12年が経った。その子は秋田の看護大生になっていた。7月、秋田で豪雨災害が発生する。その彼女から「相談がある」と連絡があり電話を繋いだ。「先週から秋田で水害ボランティアに参加している。かなり状況が酷くて、継続的な活動や資金が必要になるかもしれなくて、自分たちで学生団体をつくりたくて、でもそのやり方が分からなくて」という内容だった。「私小学生だったからよく分かってなかったんだけどさ、たくまたち、12年前って活動資金とかどうしてたの?活動ってどうやって展開していったの?」と。感情が込み上げてくる。あのとき自分たちがどんな活動をしていたのかを語りながら、口調が自然と早くなる。こんなことを直接彼女に話す日が来るなんて想像もしていなかった。当時多くの人が東北を支援していたこと、一方であなたの家族をはじめ地元の人たちが支えてくれたから活動を続けられたこと、それを彼女に話すのは、紛れもない喜びだった。後日、LINEが入っていた。「私が(秋田で)ボランティアしたいと思ったのは、震災の辛さがわかること、FIWCの活動が当時の自分にとってすごく救いだったからです。」

今度はおれらの番

当時、ボランティアで来ていた大学生と一緒になって、近所の小学生とちょくちょく遊んだ。特に親しかった子たちもついに、去年、今年と高校を卒業して進学のため気仙沼を離れていった。ずいぶん歳の離れた弟たちのような存在だった。

今年の夏休み、まるオフィスにインターンシップで来ている大学生主催で唐桑半島の小学生を集めて海で遊ぶ企画を立てた。コロナで久しく滞っていた活動を、漕ぎ始めの自転車のようにぐいぐい動かす。「大学生と海で遊ぼう!」と呼びかけた結果、予想以上に小学生の応募があり、スタッフ不足となった。そこで、夏休みに帰省していた彼らを招集することを思いつく。彼らは二つ返事で集まってくれた。「当時はよくたくまや大学生に遊んでもらったからねぇ。今度はおれらが小学生と遊ぶ番だよ。循環だ、循環」そう言って小学1年生になった私の息子に微笑みかける、そんな彼は12年前、小学1年生だった。12年でひと回り。ひとつ役割を終えたかな、そう思えた夏だった。

(文・加藤拓馬)

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